鉈切り丸感想 その3

翌日の大千秋楽を待たずにわたしの鉈切り丸観劇は終わってしまった。マチネ1回のみの金曜日。行き道ですでにあぁ終わりか〜と感傷的になってしまった。しかも最前から2列目で平面。ウィルビルの時は3列目だったけどその上を行ったわけで、段差がないこの席はとにかく残念。最後の倒れてからの主役が全く見えない。そんなことあっていいの?その他のシーンも前の人の頭が何度も邪魔になったし照明さえも時に視界を塞ぐ。音も身体にきついし。だからあと3列ほどうしろの段のある席がたぶんベストだ。ただ鉈切りさんが一番前まで出て来てくれた時は綺麗な顔がはっきり見えるのでマイナス面は許せるのかな。あざのない側だけ向けてくれている時はただ美形に見とれていられるんです。だから終幕間際の亡霊全員集合で醜い華がない誰もついて行かないと口々に罵る時「わたしに鉈貸してくださる?」って言いたくなった。

観劇2回目あたりから女優さんにもよく目が向くようになって。カーテンコールで最初に出てくる8人くらい、役名もないけど何役もやる皆さんもきれいだったから見てるだけで楽しくなった。前にも言ったけどきれいなものかわいいもの大好きなんです。衣装も楽しめてよかった。舞になると奥にいる主役が見えないのは辛いけど我慢できた。3回目ともなると話の筋もばっちりわかるし頼朝さんのふざけ方がエスカレートしてちょっとシラッとなったりも。政子さんまではしゃいでいた気もするけど美人だから許す。前から若村さんは大注目の女優さん♪とにかく森田さんの声で「姉上」「兄上」を聞くとでれ〜となってしまうわたし。甘えさせたら日本一!変な感想になってしまった。

好きなシーンをまじめに挙げて行くと案外残酷な所に集中しているので内心びくびくです。最初に観た時はどうやって巴を殺めたのか見えていなかった。でもなんとなくわかったけど信じたくなくてまさかねと震えたそこが近い席でははっきり見えた。最後の口づけをしてやろうとか言った時などもの凄く色っぽい迫真の演技でもう素晴らしいとしか言えません。愛の裏返しの憎しみなんだ。巴については計算で結婚したのでなく単純に気に入った女性だったのだと思う。でも頼朝の娘であるおと姫を妻にと考えて段々関心が離れてしまった。こちらは利害が優先しているにせよ範頼にとっても政子にとってもいい結婚だったはずだけど可哀そうなおと姫さん。父亡き後一度は範頼に付きかけた「頼朝の忠臣」景時によって永遠に引き離された。
政子も内心は残念だったのではないだろうか。わたしは政子は、息子だったらよかったのにと言ったほどだから範頼の才覚や生命力をかなり認めてくれていたと感じている。誰にも愛されていないわけではなかったと思っているのだ。
具体的にもうひとつ挙げるとラストで紅い蓮の花が開いてすごく妖しく綺麗だった。死の間際の(瀕死であるにもかかわらず)はっきり聞かせる主役の長台詞。それこそ芝居の醍醐味ここでリアルを追求するのは絶対違う。そして鳥葬にした景時。墓になど埋葬するなと言ってはいても結局鉈切りの最期の願い(羽をくれ〜)を叶えている所がこのお芝居の後味の良さなんだと思う。景時も範頼の才覚について買っていた人物だからそこで敬意を表しても不思議はないのだし。鳥葬ってちょっといいなと思っていたのだけどここで出てくるとは感激だった。そういえば「殿」と最初に呼んでくれたのが景時だったっけ。あの時のにんまり満足げに笑った顔もすごくよかった。

生母イトについては最初から気になっていてずいぶん考えた。勝手な解釈だけど最後になぜ挑発するような話をしたのかと考えると、息子の手で殺されたかったのかなと思ってしまう。その時赤ん坊の彼の生命力の強さについて話したこと。鉈をかわしてしまう強運(それは父の血なのか)を感じていたと思う。連れて歩くのに限界を感じた時大きな屋敷の前に捨てた、大きな屋敷という所にすがる思いで託した景色が見えた。結果として鉈切り丸のセリフ「俺を育ててくれた人が」という言い方ができるような育ち方をしてきたのかなと考えるとイトの呪いの話をそのまま受け取らなくてもいいという極論に至った。その方がわたし自身の気が楽だからとりあえずそう思っておこう。まだストーリー本を読んでいないので気が変わったらまた書いてみます。


(追記)セリフの表記は正確でないといけないと思って取り急ぎ戯曲本で確認した。「育てたヒト」になっていて「育ててくれた人」と言ったと思ったのはわたしの印象でそう記憶したのかもしれないと判明。なんとなく感謝の気持ちが表れていたように感じたのは誤解だったのかな。