ありがとうごうくん

私事ではありますが。本日BDで今年も無事6人様のメッセージ動画を見ることができました。よかったよかった。


最近は演ぶチャート1位で喜んで以降はあまりいいニュースもなく11日前後の東日本大震災の報道をずっと見ていました。とりわけ政府主催の追悼式での宮城県代表の19歳の女性の追悼の言葉に考え込んでいて3月11日が実母の命日だったことを忘れました。以下ちょっと重い話で長くなります。



がれきの下で自分は動けない状態で近くに娘が無事でいることに気付いた母親は行かないでと娘に言ったそうです。すごく大きい衝撃でした。これは本音だと思う。極限状態での言葉で残りが短いならみとられて死にたいと望むのかもしれない。無理に抑え込まないで言えたお母さんは悔いがなかったのだろうか。死後のことはわからない。わたしだったら?考えたけどたとえ個人のブログでも書くのはあまりに不遜で無礼すぎる。現実にその経験をした人がいるという事実を受け止め彼女の将来を蔭ながら見守りたい。他の県の代表の方の言葉の報道はほとんど目にしないのにマスコミはなぜこの若い女性に集中したんだろうという点もすごく考えた。震災を忘れがちになる国民へのショック療法なのだろうか。泳いで逃げた15歳の女の子の気持ちは測り知れない。でも万が一何か中傷的な被害が本人あるいは故人であるお母さんに及ぶことはわたしでも想像できる。しかも春から進学する大学名まで知られている。リスクより意味がある報道だったのだろうか?本人は優秀な人間だしネットでのそんなことはまさにタワゴトでいちいち痛みなど感じるのもおぞましいと切り捨てるだろうけど。そんなこんな自問自答の繰り返しをしていた。


あ。命日だ!と気がついたのは12日で、ほんとうに忘れていたと思った時自分が怖かった。法事の予定でもあればもちろん忘れないだろうけど今年はない。こんなひ弱な記憶力を心配すべきなのか何かひとつのことに集中しすぎる所を気をつけないといけないのかへこみます。母の命日から2日後なので誕生日はだいたい落ち込んでいますけど(笑)。言い訳すると10日の夜まではしっかり母のことを考えていたのに当日の報道の量と必死で戦ってしまった。忘れてはいけないと皆が言うからかな。何を言いたいのかと言うと。この歳になると誕生日というのはまたいろいろな衰えを確認してしまう日でもありまだできること(たとえばメッセージ動画が見られる)を喜ぶ日でもある、ということ。持病の緑内障で最近の検査結果が悪かったことでいつか見られなくなるのかもしれないという切実な心配があるものですから。でもごうくんの存在があるからまだまだがんばらないとって思うのです。今年はどこで見られるのかなぁ。テレビがいいな。